2008年08月27日
【別れ】
今日は弔電を打ちました。
新潟のNPO法人グローバル国際交流事業会、理事長小林勝氏(79歳)
小林氏は、新潟でいつもの予備校や短期大学を経営する有名な事業家で、長者番付の10番に入ったことも
ある繊細かつ、豪快な方でした。
東京に上京すると、帝国ホテルに呼んで頂き、松阪牛のステーキや、懐石を御馳走してくれました。
もっと、一緒にいて人生のいろいろなお話をお聞きしたかったです。
新潟に国際研究大学を作るのが夢だったのですが、その夢にまだ、協力できませんでした。
心からお悔やみ申し上げます。
自分の両親を含め、いろいろとお世話になった方々の中には、もう、お年を召された方も多いです。
これからの自分の夢をかなえることが、恩返しになるし、社会への恩返しにもなると思ってます。
やっっぱり、生きているうちに、流されることなく、どんどん何でもやっていくことですね。
そして、自分も相手も、生きているうちに、感謝、お返し、恩返ししていきたいと思います。
今年は久しぶりに田舎の新潟に帰り、両親に会ったり、お墓参り、小林氏、ほかにお世話になった
人々に挨拶行こうと考えました。
レッスン2つ後、アメリカに帰国?する長男を都賀駅まで送りました。
途中、お世話になった「あなたの夢を未来につなぐ千城台高校」
熱血O先生にご挨拶。
駅でのお別れ、HAPPY COACH*\(^―^*)/は、「前回の留学は守りの留学、今回は攻めの留学をやってこい!」
(意味不明・・・・)と伝え、固く握手しました。
長男は、今回日本滞在が長かっただけに別れも辛いのか(たぶん)、父、一生懸命手を振ったのですが、
振り向いてもくれませんでした。(空港まで見送りに行ってくれる電車の中の剣太郎とKくんにも無視されました・・・・)
新潟のNPO法人グローバル国際交流事業会、理事長小林勝氏(79歳)
小林氏は、新潟でいつもの予備校や短期大学を経営する有名な事業家で、長者番付の10番に入ったことも
ある繊細かつ、豪快な方でした。
東京に上京すると、帝国ホテルに呼んで頂き、松阪牛のステーキや、懐石を御馳走してくれました。
もっと、一緒にいて人生のいろいろなお話をお聞きしたかったです。
新潟に国際研究大学を作るのが夢だったのですが、その夢にまだ、協力できませんでした。
心からお悔やみ申し上げます。
自分の両親を含め、いろいろとお世話になった方々の中には、もう、お年を召された方も多いです。
これからの自分の夢をかなえることが、恩返しになるし、社会への恩返しにもなると思ってます。
やっっぱり、生きているうちに、流されることなく、どんどん何でもやっていくことですね。
そして、自分も相手も、生きているうちに、感謝、お返し、恩返ししていきたいと思います。
今年は久しぶりに田舎の新潟に帰り、両親に会ったり、お墓参り、小林氏、ほかにお世話になった
人々に挨拶行こうと考えました。
レッスン2つ後、アメリカに帰国?する長男を都賀駅まで送りました。
途中、お世話になった「あなたの夢を未来につなぐ千城台高校」
熱血O先生にご挨拶。
駅でのお別れ、HAPPY COACH*\(^―^*)/は、「前回の留学は守りの留学、今回は攻めの留学をやってこい!」
(意味不明・・・・)と伝え、固く握手しました。
長男は、今回日本滞在が長かっただけに別れも辛いのか(たぶん)、父、一生懸命手を振ったのですが、
振り向いてもくれませんでした。(空港まで見送りに行ってくれる電車の中の剣太郎とKくんにも無視されました・・・・)