2010年03月15日
【幼馴染】
新潟市実家のお隣りに住んでいた、同い年、「幼馴染の久ちゃん」とは、
小学校4年生の時に離れ離れになり、約20年後、奇跡的?に再会しました。
僕と彼は、生まれたときから兄弟の様にとても仲が良く、気が合いました。
夜ボールが見えなくなるまで、野球の練習。
よく畑の砂場へ行き、投げたボールをわざわざ飛び込んでキャッチする練習をしたり、
家の前の塀にボールを投げてどちらが先にボールをテルテル坊主にするか競争したり
(最後は軟式ボールが磨り減ってパンクして僕の勝ち)、
彼のお陰で、根性の基本が身につきました。
勉強もライバルで「セントラルクラブ」という子供だけの秘密結社?を作り、
よく彼の先導により(僕はしょうがなく)
勉強会をやりました。
彼は「超健全」なんで、「セントラルクラブで世の中のために何かやろう」という話になり、
「日の用心」のポスターを手書きで何枚も書いて、町内のたくさんの電信柱に無断で(笑)張りました。
※ メンバーに町内会長の息子がいて、その子を通して、許可はちゃんと取った(土曜日、久ちゃん談)
当然、秘密基地で一生懸命ポスターを何枚も書きました。
(後日、そのセントラルクラブは、市内にセントラル劇場というストリップ劇場があるのが発覚し、すぐに名前を変えました)
その久ちゃん、小学校4年生の時に、彼の父親が転勤となり、長岡市へ引越。
今でも、久ちゃん家族が夕焼けの中、車で家の前から去るのを、信じられない気持ちのまま見送った
夢のような映像が、はっきりと蘇ります。
その久ちゃん家族は、その後転勤を繰り返し、いつの間にか連絡が取れなくなってしまってました。
それから約30年後、ひょんなことから久ちゃんのパパの会社(大企業)の職員と話す機会があり、
久ちゃん家族のことを聞いてみたら、久ちゃんのパパは大企業の社長になり、定年したとのこと、そして、千葉に家を建てたとのこと、
連絡先も分ったので、連絡して東京で会うことになりました。
20年ぶりに会う幼馴染・・・・・
東京のとある駅で待ち合わせして・・・・・・・・
ひと目で久ちゃんだと分りました。
小学校4年生の面影のまま(泣笑)
二人とも40近い親父なのに、僕が「久ちゃん」って呼んで、ごく自然に「しのぶちゃん!」って、返事が帰ってきました。
なんか、時間がワープしましたね。
久ちゃんは、やっぱり久ちゃんでした。
そして、一生懸命な彼らしく、なんと・・・・・・・・
弁護士さんになっていたのです。
当時、僕は法務省の東京拘置所に刑務官として勤めていたのですが、
奇遇にも、
そこに仕事で面会に来る立場になっていたのです。
先週末は、その久ちゃんに、10年ぶりにまた会ってきました。
新橋に立派な事務所を構え、今もやっぱり、頑張っている久ちゃん。
幼い頃の話に花が咲き、本当に楽しかったです。
元気づけられました。
感謝!